1941年(昭和16年)制定の「国民医療法」において、初めて病院と診療所の区分が明確化(病床数10床以上を病院)されました。これと同時に設立された「日本医療団」(特別法人)は、戦前の自由診療時代に医療需要の大きい都市部に集中していた医療機関の地域配置の不均衡を是正するため、公的資本を注入し、全国に多数の医療機関の開設を進めましたが、供給不足を解消するには至りませんでした。
1945年(昭和20年)の終戦当時、医療供給体制はまさに壊滅状態であり、これを受けて新たに制定されたのが、医療法です。
その後、医療法人制度の創設(1950年)と公的病床数の規制導入(1962年)を除き、医療供給自立調整期(昭和50年代)には大きな改正はなされず、医療機関を取り巻く環境では「自由放任制度」が踏襲されてきました。
1980年代に入り、旧厚生省の医療費適正化政策を受けて、我が国は医療供給体制転換期を迎えます。 さらに、医療機関の不祥事が生じ、世間から自由放任主義のもたらした「医療の荒廃」に対する批判が高まり、医療法は制定から約40年を経て、大きな改正がなされることになりました。 |